TL;DR
EEGは、脳の中をそのまま見ているわけではなく、頭皮で測れた電気信号の「混ざった結果」を読んでいます。時間の変化には強い一方で、「脳のどこで起きたか」はぼやけやすいです。だからMind-Uploadでは、データ品質チェック(QC)とデータ整理の共通ルール(BIDS)を最優先にしています。
EEGとは(超ざっくり)
EEG(脳波)は、頭皮上の電極で電位差を測る計測です。たくさんの神経活動が重なった結果が、頭蓋骨や頭皮を介して観測されます。 観測は高頻度(msスケール)でできる一方、信号は空間的に“ぼやけ”やすく、解釈には注意が必要です。
得意/苦手(誤解が起きやすいところ)
| EEGが得意 | EEGが苦手 |
|---|---|
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時間変化を見る(状態遷移、位相、短い反応) 閉ループ(リアルタイム制御)へ繋げやすい |
どこで起きたかを正確に言い切る(特に深部) “個別の思考内容”をそのまま読む(過大な期待が出やすい) |
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装置が比較的安価でスケールしやすい 繰り返し計測(縦断)に向く |
ノイズとアーティファクトが多い(瞬き、筋電、電源、動き) 参照法や前処理で結果が変わる |
EEGはQCログとメタデータを揃えれば、ミリ秒スケールの時間分解能を活かして状態変化を追跡できる計測です。一方で記録条件が欠ければ、モデルが尤もらしくても再現性を失います。
EEGの情報理論的限界とWBEへの含意
EEGをWBE(全脳エミュレーション)の文脈で位置づけるには、その情報理論的な限界を定量的に把握する必要があります。ここでは「技術的に改善可能な制約」と「物理法則に由来する根本的な制約」を区別します。
空間分解能のギャップ
- 頭皮EEGの空間分解能:約1–2 cm(高密度アレイでも同等)
- WBEが要求する分解能:シナプスレベル ≈ 数十nm〜μm
- ギャップ:約7桁(107倍)。これは技術的改善では埋まらない物理的な階層差です。
情報帯域の制約
- 頭皮EEGが提供する独立チャンネル数:実効的に102–103程度(256チャンネルでも空間的相関により独立情報は限られる)
- 皮質コラムレベルの活動記述に必要な測定数:106以上
- EEGは脳全体のマクロスコピックなダイナミクスの「低次元投影」であり、ミクロ回路の詳細を復元する情報量を持ちません。
物理的・数学的な根本制約
- Volume conduction(容積伝導):脳内の電流源から頭皮に至るまで、頭蓋骨・脳脊髄液・頭皮が低域通過フィルタとして機能します。これは機器改良では解消できない物理法則による制約です(Michel & Brunet, 2019)。
- 逆問題の不良設定性:異なる複数の脳内電流源配置が、頭皮上でまったく同一の電位分布を生成しえます。つまり頭皮EEGから脳内源を一意に決定することは原理的に不可能です(Hämäläinen & Ilmoniemi, 1994)。解を得るには事前情報(構造MRI、fMRI、解剖学的制約など)が不可欠です。
EEGの役割は、脳ダイナミクスに対するマクロスコピックな制約条件を提供することです。具体的には:
- グローバルな脳状態のキャリブレーション(覚醒・睡眠・麻酔などの状態推定)
- 意識モニタリング(PCI: Perturbational Complexity Indexなど)
- 縦断的な安定性トラッキング(日内・日間変動の中で変わらない特徴の同定)
WBEを目指す場合、EEGはこれらのマクロ指標として他のモダリティ(侵襲記録、電子顕微鏡、分子プロファイリングなど)を補完する位置づけです。
解析の流れ(Mind-Uploadの想定)
計測とQC
インピーダンス、ノイズフロア、同期(遅延・ジッタ・ドリフト)をログとして残し、後段の解析に渡せる形にする。
前処理
フィルタ、参照、アーティファクト除去(瞬き・筋電・電源)を行い、処理条件を記録する。
特徴量/指標
スペクトル、位相同期、複雑性、状態遷移などを計算し、ベースラインと比較する。
(必要なら)ソース推定(ESI)
頭部モデルやMRIを用いて、皮質上の活動を推定する。ただし逆問題なので“不確実性”を一緒に扱う。
モデル化と検証
相関のデコーディングで止めず、刺激変更などの介入に対する予測(反事実)で検証する。
最低限のQC(これがないと比較できない)
Mind-Uploadでは「QCログが残っていること」を、ベンチに参加する最低ラインにします(目標)。
Minimum QC
- チャンネル品質:欠損、飽和、インピーダンス、ブリッジング(疑い)
- ノイズ:電源周波数、機器ノイズ帯域、ノイズフロアの推定
- アーティファクト:瞬き/眼球運動、筋電、動き、心電の混入
- 同期:遅延・ジッタ・ドリフト(可能ならend-to-endで)
- 前処理ログ:フィルタ、参照、除去法、閾値、除外区間
EEGがWBEに貢献できる“現実的な場所”
Realistic Contributions
- L0:公開データで再現可能なパイプラインを作る(標準化と監査)
- L1:状態(覚醒・睡眠・麻酔など)や課題条件の推定を、頑健に行う
- L2:刺激/課題の変更に対して、時間発展を予測できるモデルへ寄せる
- 縦断:日内/日間変動の中で安定な特徴と変わる特徴を分ける(本人性に繋がる材料)
よくある誤解(ここで止める)
「EEGで思考をそのまま読める」
実際にはノイズ、個体差、学習データの偏り、言語モデルの事前分布などが絡みます。何がEEG由来の情報か、反事実テストで切り分ける必要があります。
「前処理は細かい作業なので後回しでよい」
前処理や参照で結果が変わります。だからこそ、Mind-UploadではQC・メタデータ・再現手順を先に固定します。
ESI(脳波源推定)の不確実性
ソース推定(ESI: EEG Source Imaging)は逆問題を解く手法ですが、その結果には常に不確実性が伴います。Mind-Uploadでは、点推定だけを報告することを推奨しません。
不確実性の定量化が必須
- 信用区間の報告:ESIの結果は必ず信用区間(credible interval)または信頼区間付きで提示する。点推定のみの報告は、解の非一意性を隠蔽するリスクがあります。
- ベイズ的アプローチの推奨:Empirical Bayes法やChampagneアルゴリズムなどのベイズ的手法を標準とし、事後分布から不確実性を自然に導出します。
前処理の適応的調整
- ASR・ZapLineのパラメータ固定は非推奨:被験者・セッション・環境によってノイズ特性が異なるため、前処理パラメータは適応的に調整される必要があります。
- リーマン幾何に基づく外れ値検出:共分散行列のリーマン距離を用いたロバストな外れ値検出により、前処理パラメータの自動調整を行います。
順モデルの不確実性
- 頭蓋骨の導電率:個人差が大きく(文献値で2–3倍のばらつき)、順モデルの最大の誤差源です。導電率の不確実性はソース推定結果に直接伝播します。
- 頭部形状モデルの誤差:テンプレートMRIの使用や、セグメンテーション誤差が順モデル精度を低下させます。個人MRIが利用可能な場合でも、組織境界の曖昧さが残ります。
階層的ベイズモデリング(Hierarchical Bayesian Modeling)
- 単一レベル推定の限界:信用区間の報告は必要条件ですが十分ではありません。順モデルの不確実性(導電率の個人差)、逆問題の不確実性(ソース配置)、計測ノイズの不確実性は異なる階層に存在し、それぞれが最終結果に非線形に影響します。
- HBMの導入:階層的ベイズモデリング(HBM)により、導電率等の順問題パラメータを確率変数として同時推定(Joint Estimation)し、その不確実性が最終的なソース推定結果にどのように伝播するかをより正確に評価できます(Koulouri, 2025; Medani et al., 2025)。
- モンテカルロ感度分析:導電率の不確実性をモンテカルロ法で伝播させた「ESI誤差マップ」の導入により、頭蓋骨の導電率の個人差(文献値で2–3倍のばらつき)が逆問題の解に与える影響を定量的に評価し、後続の因果モデリングへ明示的に伝播させます。
ESIの不確実性定量化の具体的な手法や実装方針については、技術提案(Proposals)および展望(Perspective)で詳述しています。
マルチモーダル統合の必要性
EEG単体ではWBEに必要な空間分解能を達成できないため、他の計測モダリティとの統合が不可欠です。
推奨される統合アプローチ
- EEG + fMRI同時計測:EEGの高時間分解能(ms)とfMRIの高空間分解能(mm)を組み合わせ、時空間的に補完的なデータ融合パイプラインを構築します。
- EEG + MEG:MEGは磁化率の歪みが少なく、EEGとは異なる感度プロファイルを持ちます。両者を統合することでソース推定の一意性が向上します。
- OPM-MEG(ウェアラブルMEG):Boto et al. (2018) が実証したウェアラブルMEGは、自然行動下での高時間分解能計測を可能にし、閉ループ検証への道を開きます。
マルチモーダル統合においても、不確実性の定量化は各モダリティで独立に行い、統合時にはベイズ的な枠組みで不確実性を引き継ぎます。座標系の位置合わせ誤差、モダリティ間の遅延差、ノイズ構造の違いは、BIDS準拠のメタデータとして記録し、監査可能性を担保します。